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現住所が大事
<岐阜県に伝わる話>

 峠を挟んで二つの村があった。片方の村にある禅宗の寺の前を通り過ぎて、お婆さんが峠の方へ向かってゆく。
 毎日毎朝通り過ぎて行くので、禅宗の住職が気になって、

 住  職 :「お婆さん、毎朝どちらへ向かわれているのですか?」
 お婆さん :「向こうの村のお寺に行っておるのです」
 住  職 :「向こうの村のお寺といえば、浄土真宗のお寺ですね」
 お婆さん :「そうでございます」
 住  職 :「すると弥陀一仏ですな?」
 お婆さん :「はい。そうでございます」

 禅宗の住職は、わざわざこの寺を通り越してまで浄土真宗の寺へ参っていることが気になったのか、「阿弥陀経というお経には、西方十万億の仏土を越えたところに世界があって、そこを極楽という。そこに仏がおられて、阿弥陀と号される。お寺も峠を越えた向こう側だが、仏さんも随分遠いところの阿弥陀さんをたのんでおられるんですね」とお婆さんをからかいました。
 するとお婆さんは、「極楽は阿弥陀さんの本籍地でございます」といいました。
 住職がどういうことかと尋ねると、お婆さんは、
「現住所はこの私のところです。この通り現にお念仏となって私のところにおられます。南無阿弥陀仏・・・」
 これをきいた住職は大変感じ入ったということです。

心は仏のおやどにて 口は仏の出入り口 身体は感謝のうつわなら 手足は仏のつかいなり

と詠った人があるそうです。
「阿弥陀仏、ここを去ること遠からず」の仏説はまことでありますが、このように手取り足取り詳しく教えて聞かせて頂かないとなかなか分からず、果てはすっかり忘れてしまっている毎日です。智恵の無さ、根気の無さ、怠慢は筋金入りの私ですが、聴聞させて頂けばそのまま有り難いところです。
聴聞は本当に大切ですね。
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すばらしいお話、初めて聞かせて頂きました。ありがとうございます。

読んで次のような歌(?)を思い出しましたが、誰の歌かは定かではありません。

弥陀を離れて私なし、私を離れて弥陀もなし
弥陀と浄土へふたり連れ、機法一体の南無阿弥陀仏

それと、親鸞聖人の御言葉『慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。』が思い浮かばれてきたので「ありがたきかな、往生を誓願不思議にまかせ、念仏して御恩を報謝す。」と思いを重ねてみました。

私も聴聞を大切にしたいと思います。

>「現住所はこの私のところです。この通り現にお念仏となって私のところにおられます。南無阿弥陀仏・・・」
>心は仏のおやどにて 口は仏の出入り口 身体は感謝のうつわなら 手足は仏のつかいなり

味わい深いですね。
ZhengQing | URL | 2010/01/25/Mon 21:10 [編集]
>ZhengQing様
コメント有難う御座います。
「ここを去ること遠からず」というのは、宇宙の遠いところでなく地球上に来ておられるのだというようなことでもなく、まさに「弥陀を離れて私なし」の心だと喜べますね。
「弥陀と浄土へふたり連れ 機法一体の南無阿弥陀仏」
大変いいお歌ですね。教えて頂いて有難うございます。
YGM | URL | 2010/01/26/Tue 08:16 [編集]
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