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仏の名告り
喜怒哀楽の声 -豊島学由著- より

信心は助かる証拠を握ることと思いきや
      逆に助けるぞの証拠につかまりました

凡夫の疑いは信じたらとれるのではなく
      本願のお名号に取られるのです



少しも自力のクサミが感じられない言葉です。
こちらで信じたのでなく、ただ疑い取られた。
取られたと言っても、私の煩悩の何かが無くなったのでなく、
ただ阿弥陀仏の名告りが聞こえただけ。
人間の名のりが聞こえてもなんともありませんが、
仏の名告りが届いたら安心せざるを得ません。
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信心決定すると、本願を疑う心がなくなるといわれますが
それは、本願を疑う重い罪も救って下さるからであると聞かせて頂きました。
そして、信心決定後も煩悩が消滅するわけではないので本願を疑うという重い罪を造ってしまうことがあると聞かせて頂きました。
 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
| URL | 2014/08/12/Tue 05:34 [編集]
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